洗礼とはキリスト教徒に [洗礼・宗教・文化]

なるために教会が執行する儀礼。

ギリシア語のバプテスマは、本来「浸す」という意味の名詞形であるが、水を用いて潔めることを通して生命の再生あるいは新生を意味する特別の用語として用いられている。

宗教史的にみれば、こうしたたぐいの水による潔めの儀礼はキリスト教だけに限らず、古今東西の諸宗教にも認められ、とりわけ東方の密儀宗教においては洗礼によって再生の神々との神秘的合一が成就され、信徒は悪魔のもたらす火の災害を免れ、神の救いにあずかることができるとみなされるのである。

浸水儀礼が教団入門の儀式として確立されるのは、後期ユダヤにおける改宗者へのバプテスマであろう。

近年発見された死海文書にも、バプテスマが教団生活の中心的な儀礼として守られていたことが記されている。

『新約聖書』の福音書に登場するバプテスマのヨハネの浸水式は、このようなユダヤ教的背景から理解される。

それは、終末的な、迫りくる神の怒りに対して、倫理的な悔い改めを求めるバプテスマであり、その限りユダヤ教徒に限らず、すべての人々に向かって開かれていた。

「マルコ伝福音書」によると、イエスはヨハネからヨルダン川で洗礼を授けられたが、聖書全体を通してイエス自身が自らバプテスマを施したという記録はどこにもない。

今日キリスト教会が継承しているバプテスマは、イエスの十字架の死後、教会が独自に採用し、しだいに定式化された儀礼であり、それは聖餐式とともに、教会入会式として守られてきた。

もっとも、その根拠とされるイエスのことば自体、後の教会が付加したものとみなされる。

バプテスマの意味を単なる入会式の意味から解放し、より深い神学的意味づけを与えたのは使徒パウロである。

彼は、バプテスマの儀礼を、キリスト・イエスの死にあずかるバプテスマとしてとらえ、死にあずかるものはキリストの復活にもあずかることができるとした。

それまでの「浸水」および「潔め」から、キリストによる「新生」の意味への転換は、このようにしてパウロによって打ち出されたのであるが、パウロは、バプテスマが礼典として呪術的形式に陥ることを厳しく戒め、バプテスマを通してキリストとともに死んだものが、いかにキリストとともに生きていくかに、信仰者の実存をみようとした。

パウロ以後、バプテスマが教会礼典として確立されるにつれ、しだいにその執行権が問われるようになり、それとともに聖職制と位階制を要とする使徒権の継承の問題が、重要な問題として浮かび上がってくることになる。
update:2010年02月15日